ボスケテ!


「お前ら、オレに任せとけ!」
 勇ましく気勢をあげる声。ボス、ボス、とそのあとに群れの野太いざわめきが続いた。
 ドアの向こうの話だ。それでもすっかり目は覚めてしまって、雲雀は大きく欠伸をした。面白そうな話でもあるのかと期待しないでもないのだが、話の中心はあのへなちょこなマフィアのボスだ。「この迷子の親はオレが見つける!」とか、なんかそんな反応しがたい展開がないとも限らない。それに、群れの中にいるあの男はあまりかわいくはない。大体とりあえずだるい。寝ていたい。そうなったのはあの男のせいなのだから、今はとりあえず寝て、戻ってきたところを存分に咬み殺してやるほうが面白いはずだ。そう結論づけて、雲雀はもぞもぞふわふわの布団に逆戻りした。
 眠れない。
 ほんの少しだけ温度の下がった布団は、もう雲雀をめくるめく戦いの世界には連れて行ってくれなかった。
 やはりあの瞬間にこそ思いきりぶん殴ってやるべきだったのだ。雲雀は自分自身の中に潜む友愛の精神に舌打ちをして、渋々と起き上がった。あとおなかすいた。
「お、起きたか恭弥。飯にするか?」
 ドアを開けるとあの男の部下がいた。わりとよく見かける、古参らしく遠慮ない物言いを上司相手にする男だ。いや、あの男の周りは誰もそうだったか。
 頷くとすぐにフロントに電話を掛けだした様子から、あの男が自分の世話をするよう命じて残していったのだろうと察する。邪魔ではない。便利だとも思う。それでも自分の中にある苛立ちは、多分目の前にある黒服の男に対するものではなかった。一言で言えばあの人うざいったらない、とかなんかそんな。
「なんで君たちはそう、彼の役職名を呼ぶの?」
 苛立ちを押し殺して質問すると、強面の男はぽかん、と口をあけた。
「いやおまえだって……ボスはボスなんだよ、俺らにとっちゃ」
「ふうん」
「どんなに大切に思っててもな。だからあの人にはおまえが必要なんだ」
「それはもういいけど。何で意味もなく呼ぶの」
 呼びかけのあとには何か、命令でも懇願でもいい、用件が続くべきだ。「醤油を取ってください」とか、なんかそんな。
「恭弥、俺らは俺らなりにお前のことを大切に思っている」
「え?……なにそれ」
「だからおまえの国のこともよく知りたいと考えている。言葉がわかるってだけじゃなくな」
「……意味がわからないんだけど」
「ああいう風に呼びかけるときの「ボス」は「ボスケテ」の暗号の「ボス」だ」
「…………?」
 たっぷりカップラーメンが(しかも高級仕様の方の)出来上がって食されるくらいの時間見つめあったあと、男の部下はさっきまで得意そうだった顔を困惑した表情に変えて、説明を始めた。
「若い奴らが日本の本で読んだっていってたんだがな。ボスケテの「ボス」の部分はつまり「ボス決して走らず急いで歩いてきて」の略だ」
「……え?」
「決して走らず急いで歩いてきての略だ」
「………」
 本を読むのは嫌いではない。仕事も咬み殺す相手もいない場合、格好の暇つぶしは並校の図書室の本を読むことだ。だが自分の趣味に偏りがあることは把握している。とりあえず登場人物が団体一行様になっただけで駄目だ。だが目の前のイタリア男より無知であることは残念に思ったので、雲雀は先を促した。
「日本語って便利だよな。イタリアンマフィアっつっても行動範囲は広いからな、どこで顔を突きあわせるかわからねぇ。他のファミリーに聞かれるとまずいし、迂闊なことはいえないが、これならわかりっこねぇ。転ぶとあぶねぇから走るな、っていうのとは大分違う」
「………そうだね」
「これからも頼むな、恭弥」
 知らないよというのは簡単だったのに、いつの間にか頷いていた。なんでだ。
「………でも何の本に載ってたの、そんなの」
 暗号といっても意味不明だ。文頭しか取っていないじゃないか。
「ん? あー……よくは知らないんだが。なんでもマンキツ、とかいうところで読んだらしい」
「………マンキツ?」
「おお。日本での仕事も増えてるが、休暇名目で来る時もあるからな。研修っていうかボディガードの仕事が主な若い奴らは、結構ぽっかり体が空くんだ。先を見越して語学学習の時間に当てろと言い聞かしてある」
「それで?」
「それで。なんでも理想的な環境で好きなだけ読みやすい日本語の本を読むことが出来る、素晴らしい場所らしいぞ。恭弥は行ったことないのか?」
「………うん」
 その後初老のイタリア人男性と雲雀が額をつき合わせて考えても、謎が解けることはなかった。
 だがディーノは部下に囲まれていてもまあかわいいといえなくもないのではなかろうかと、雲雀は認識を改めた。ので、時々「ボス」と呼んでやるのだが、おまえのボスは他の人間だとディーノは草食動物の名を口にする。あれなら別に、本人が転びたいなら勝手に転ばせておけばいいと思うのだが、なにやら喧しくいってくる。よくわからない話だ。
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