ブラックカード


「ね、カード見せて」
 耳元で囁くとマフィアのボスは驚いた顔をして、溜飲を下げた。あまり自分を扱いやすい人間だなどと思わない方がいい。だいたい自分はマフィアのボスの恋人だか愛人だかの筈で、普通ならば葉巻とか毛足の長い猫だとかと共にソファに座っているべき役柄の筈で………うん、猫がかわいそうだから全室禁煙で、名前もつけていいのなら(ヒバットとかどうだろうと雲雀は思った)まあ吝かではない。そしてそうだとするならば、かなりの額の現金援助を受けていい筈だ。
「見せて」
 だが、そこで当初の目的を思い出した。そんなことはどうでもいいのだ。テレビだの何だので話題になる、ほとんどそういったものを見ない自分でも知っているブラックカード、なるものを生で見たい。だいたいこんなことをいわせるなんて、このマフィアのボスがおしゃべりなのが悪いのだ。日本では自分のポケットマネーで買い物をしているけれど、今まで部下に任せていて知らなかったがすぐになんとかカード、なるものを作られて財布がぱんぱんになる、とかなんとか。雲雀が聞きたいのはマフィアの赤裸々な実体験であって、主婦の愚痴ではない。捨てればいいだけの話ではないか。
「え………どれを?」
 だがマフィアのボスの出してきたカードは、どれも違った。見るからに違った。
「なにこれ」
「ん? だから恭弥の好きな和菓子屋のカードだろ? 300円に一桜マーク………あと薬屋だろ、本屋だろ、恭弥が好きなゼリーの売ってるスーパーに、この前買ったジャケットとかジーンズの店のカードが…………30枚、くらい? いやほらあれだぜ? 新作が入ると連絡してくれるし!」
「その頃あなたイタリアにいるよね」
「来ます! むしろおまえに会いに来ます!」
 名称からしても日本のブランドではなく、イタリアでも買えるんじゃないかとか思ったが突っ込むのも面倒である。雲雀はトランプでも切るようにカードを確認して、そのカラフルな色合いを認識した。名刺、もしくはキャッシュバックによる顧客の獲得がこのカードの目的であろう。愚かな算段であると断ぜざるを得ない。たかだか数千円の端金が得になるからといってわざわざ飛行機に乗って他国に来る人間がいる筈もない。
「嘘ばっかり。見せなよ。カード」
「え!? いやどれを?」
「………………クレジットカード」
 空気の読めない男と話すのは疲れるものだ。この世界の大多数に自分がそう評されているとは知らずに雲雀はそう一人ごちた。
「いやおまえ………そんなもん見てどうするんだよ」
「………………さあね」
 ディーノは大げさに息を吐いてみせて、ただ見たいだけ、とはとてもいう気になれなかった。だいたい雲雀を安い人間だと思うなら、それは大間違いというものである。
「ほら。大事に使うんだぞ」
「へ? ………別に欲しいなんていってないんだけど」
 掌にカードを一枚落とされて、馬鹿なことをいわれる。咄嗟に突っ込んで、さあ思う存分検分しようとカードをつまんで………明らかにおかしな空気を感じて雲雀は顔をあげた。するとそら見たことか、マフィアのボスであるという男が、鼈甲色の瞳を蕩かして、乙女のように口を手で覆っている。願わくば手で覆うなら覆うで、その向こうで発せられている呟きは遮断していただきたいものである。天使だとか妖精だとか、どうも雲雀の知らない文献で戦いの強い者がそのように例えられでもしているのだろうか、思い切り咬み殺した町の不良なぞにいつの間にかそのように呼ばれるようになることも多々あるので慣れてはいるのだけれども、そうはいってもいい気分ではない。相手は雲雀のことなぞよく知っている筈の、恋人なのだ。
 癪ではある。癪ではあるが構わずに雲雀は検分を始めた。とりあえず黒くない。そこに雲雀は驚きを覚えた。金なぞ無限に持っているような気がしていたマフィアのボスだが、実はそうでもなかったのだろうか。少々落胆したが、まあ海外のカード自体見るのは初めてだから、興味がないとはいえない。まずは掌に置かれたまま、裏側から。細かな文字は英語で、多分万国共通でこんなところに書かれている内容はつまらない注意書きであろう。あとは手書きのサイン。癖のある筆記体は読みづらく、だがいつの間にやら見慣れたものと、あまりに違う気がした。Do……m…e………ドメニコ? いやちょっと待て。
「あなた、偽名騙ってたの?」
 信じられない思いで、はじめは自分は家庭教師だと言い張って近づいてきた筈の男を眺める。なんということか、今の今まで雲雀は疑いもしなかったのだ。
「へ? ああ………それか。まあなあ、こんな稼業だと色々あんだよ」
 そういうとディーノは、いうなれば、ひどくマフィアのボスらしい表情を浮かべた。それはいけない。雲雀はディーノの、へなちょこな顔のほうが好きなのだ。そんな表情をされれば、落ち着かなくなって咬み殺したくなってしまう。
「………最低」
 衝動を隠すように呟いた。実際最低である。普段名前を呼ばないからだといって、ベッドの上では何度も何度も雲雀に名前を呼ばせるくせに。思えば何が楽しくてそんなことをするのだろう。変態だろうか。
「そういうなよ………恭弥はまっすぐな子だもんな。やっぱこういうの、許せないか」
「あたりまえだよ」
「そうだよな。風紀が乱れる。でもなカードって奴も危険なもんでなあ」
「そういう問題じゃないよ」
 カードなどもうどうでもいい。これからこの男をどう呼べばいいのかという話である。考えて愕然とした。騙されていたことが判明したというのに、どうあっても今の自分はこの詐欺師と別れる気にはなれないらしい。
「でもな、言い訳させてくれ。厳重に保護されてるとかいうけどな、カードの履歴なんてマフィアがちょっと本気を出して調べれば簡単にわかっちまうんだぜ。それで居所が知れたりするかもしんねーし、でもこっちはいつ誰が狙ってるかもわからねー時もある。本当はこんな怖い話教えたくねぇけど、な。自分名義のカードなんてなかなか持ち歩けねぇ………ん? きょうや、どうした」
「………咬み殺す」
「あ、ちょ、きょうや。………かわいいことすんなよなー」
 知らない。かってにやきもきさせたマフィアのボスがいけない。そのマフィアのボスみたいな表情がいけない。雲雀はいつもみたいにふにゃふにゃしてない、固い頬に噛みついてやった。
「ディーノ」
「おお。どした?」
「ディーノ………返す」
 呼びたかっただけだなどと、いってやるつもりはない。握っていたドミニコのカードをディーノに押しつけた。
「なんだ、本当にいらねぇのか?」
「いらない」
「そうか? まあイタリアじゃ基本現金社会っつうか、カード使えない店が多いからな。セキュリティの問題もあるし、使うのは大体海外での話なんだよ。こっちはカード使った方が楽だしさ。だから限度額も低いのしか持ってねぇし………本当にいらねぇの?」
「うん」
 それじゃあまあ、黒くはないのも当然なのかもしれない。つまらない。
「恭弥は遠慮深いなあ………」
 馬鹿がなんかいっている。大体カードを使うときには確かサインだとかなんだとか、しなければならないのだ。そんな聞いたこともないような外国人の名前、素知らぬ顔をしてサインするなんて出来やしない。
「ディーノ」
「ん? どした」
「おなかすいた」
 だがそれをいうなら、「ディーノ」とサインするのも同じこと。どんな罰ゲームだ。それよりは着実にこの男に金を使わせて、黒いカードを入手させた方がよほど話は早い筈。いつだって金遣いの荒い男であるのだから簡単な話である。
「そっか。何が食いたい? 食べに行こうぜ」
「シェ・ナミモリのデラックスハンバーグ。あとスペシャル海老フライも」
「わかった。ほんと恭弥はいい子だなあ!」
 騙されてることも知らないマフィアのボスはにこにこと微笑んだ。まったく仕方のない人だ。デラックスハンバーグは確か、二千円もするのだというのに。だがここは心を鬼にすべき場面の筈。というかもう頭はハンバーグだおなかすいた。傾城の美少年はそんなわけでちいさく頷いて妖艶な微笑みを浮かべた。









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