狼雲雀と七匹のディーノ



 お母さんヤギ(ロマーリオ)がお出かけすることになったキャバッローネ邸。ディーノヤギは書類に埋もれて一人でお留守番です。
「ちくしょー。いいなー。オレも行きてぇ……」
「あのなあ、工場視察の何がうらやましいんだ。あんたはちゃっちゃかその山を片付けてくれ」
「山いうな」
「じゃあビルだ。新宿あたりだな」
「新宿か……恭弥が好きな寿司屋があってなー」
「逃避するな。いいか、あんたの仕事はオレが帰ってくるまでにそこの新宿を更地にすることだ」
「いや無理だろ」
「ヒットマンがやってくるといけねぇからな。ドアをノックされても軽々しく開けんじゃねぇぞ。あぶねぇからな。新聞は要りませんって答えりゃいい。なんだったら白い手を見せてもらってオレかどうか確認するんだ」
「子どもかよ」
 ようやくロマーリオは出かけていきました。ディーノはデスクワークに戻りましたがどうにもうきうきして仕方がありません。ファミリーのみんなは大好きですが、留守番というのもそれはそれで楽しいものです。なかなか一人きりの時間が取れないのでそう感じるのでしょうか。甘いココアとクッキーを食べながら仕事をしたって、文句をいう人は誰もいません。
「これで仕事がなかったらいいんだけどなー。いや、仕事があってもいいけど恭弥が傍にいれば最高なんだけどなー」
 いたら仕事になんねぇだろ、と突っ込む人もいないので愉快な気分でココアの用意をしました。二杯ほど、太っ腹に絨毯にも飲ませてやって、三杯目はやっと机まで零さずに運ぶことが出来ました。
「さぁて、仕事仕事」
「感心だな。へなちょこ」
 がばっと振り向くと、本棚の上に親愛なる元家庭教師が座っていました。いつのまに。とんでもない速さで心臓が脈を打っているのが自分でもわかります。そうです、ロマーリオは気づいていませんでしたがヒットマンはドアをノックしては訪ねてこないものなのです。
「びっくりした……。何だよリボーン、てっきりチャッキーが出たかと思ったじゃねぇか」
「失礼なやつだな。客に対する態度じゃねぇぞ」
「客はドアから入ってくるもんだぞ! お前どうやって……」
 ああ。どうも隙間風が入ると思っていたら窓に丸い穴が開いていました。普通だったらそこから手を差し入れて、窓の鍵を壊すなりなんなりするのでしょうが、この歩く災厄なら充分に通り抜けられるサイズです。
「大体オレはエスプレッソのほうが好きなんだぞ。気がきかねぇな……うん、まあ、へなちょこにしちゃ悪くない味だぞ」
「ああー! オレの!!」
「忙しそうだな、ディーノ。手伝ってやろうか」
「…………遠慮します」
 にやり、と笑った元家庭教師はいつもながら人の話しを聞く気がありません。既に照準の合わせられた銃の、安全装置がはずされる音がしてディーノは顔を強張らせました。
 一方雲雀は、今日は昼からロマーリオがいないらしいと草壁から聞いていたので、外から様子を窺っていました。
「別に……心配ってわけじゃないんだけどね」
 とはいえ相手はあのへなちょこです。うっかり本棚に潰されているかもしれませんし、火事を起こしたりするかもしれません。あの執務室にある立派な壁時計の中に入ってみようなんて思いついて歯車に巻き込まれてぐちゃぐちゃになってるかもしれません。そしてそんなことで戦えなくなるのはとても許せることではないのです。 
 ドアノブを捻ってみましたが開きません。鍵が掛かっているようです。へなちょこでもマフィアのボスらしいので、警戒しているのでしょう。
「ふうん……生意気だね」
 玄関の前には盥が置かれていて、中には白い粉が入っていました。いったいこれは何に使うものでしょう。雲雀は黒くて肉球の柔らかい自慢の手でその盥をつついてみましたが、さっぱり判りませんでした。
 乾いた、拳銃の音がしました。かわいらしく、おまけに強い赤ん坊のおかげでいつの間にやらそれと判るくらいには聞きなれてしまった音です。雲雀はトンファーを構えました。鍵など問題ではなく、自分がそうしたければ邪魔なものは排除するだけです。二回、力いっぱい振り回しただけであっけなく玄関近くの壁は崩れました。
「きょうや!」
「うわ恭弥! どーしたんだよ。びっくりした」
「会いたかったぜ! あ、壁壊しちゃ駄目じゃねーか」
「……あなた」
「ん?」
「どした?」
「何でそんなに群れてるの……?」
 七人のディーノは顔を見合わせ、それから目をまんまるくしました。一、二、三……確かに七人います。誰の仕業かはわかりきっていますが、一体どうしろというのでしょう。
「うあー……。多分これリボーンの仕業だ」
「赤ん坊の?」
「おう、まああいつのやったことならな」
「多分時間がたてば元に戻るんだろうと思うんだけどさ」
「あちくしょ。やっぱもういねぇ。逃げ足速いな」
「ふうん。まあよかったじゃない。仕事がはかどるんじゃないの」
「ああそうだな」
 そういえばそんなこともいっていました。また特殊弾か何かでしょうか。生徒だった頃は散々弄られたので、今更この程度では取り乱しはしません。ですがリボーンは予想していなかったのでしょうか。雲雀がここに来た時点で何人いようが仕事になるはずはないのです。
「きょうや。会いたかったー」
「うん」
「粉使わなかったんだな。白い粉塗れの恭弥がみたかったのに」
「……何それ。あなたまさかマフィアだからって僕に」
「違ーよ! 砂糖だ砂糖。オレが舐めて毒んなるようなもの恭弥に用意するわけねーだろ!」
「ヒットマンを警戒しなきゃいけないんだよ。今日他に誰もいないし」
「で、白い手を見て確認しろっていわれたからさー」
「恭弥には手を白くしてもらって入ってきて貰おうかと」
「へえ、あなたたちこの手が白くなったくらいでロマーリオと見間違えるんだ?」
「見間違えねぇ」
「絶対見間違えねぇよ」
「オレが恭弥と他のやつを見分けられないはずないだろ」
 必死で否定するディーノの様子に雲雀は小さく笑いました。何も本気で疑ったわけではないのです。白くなったくらいであの偶蹄目のひづめと自分の手が同じものに見えるはずはありません。
 ふと視線を上げると目の前にいたディーノが真剣な顔で自分を見ていました。ディーノがこんな表情を浮かべるときが雲雀は苦手でした。金の目に燻りだしている炎は獣の、肉食動物のものです。多分とてもヤギ一匹の身の内に抱えられるものではなくて、だから雲雀をも焼き焦がそうとするのでしょう。ですが戦いの最中にお互いの瞳の中に見出すというのならこんなにも美しく高揚させるものもないというのに、どうしてここまで自分が居た堪れなさと羞恥を感じなければならないのでしょうか。目を逸らしたら負けのような気がして、それでも雲雀は目を逸らしました。ですがその先にもまた、同じように熱に浮かされた金の目があったのです。
「きょうや」
「……何。はなして」
「やだ」
「やだって」
 いうなよ、と頬に指を這わせたのはまた別のディーノでした。今までどんな戦いでも数に圧倒されたことはありませんでした。目の前の邪魔者を打ち倒せるか否か。数が多かろうと少なかろうとそのことに変わりはありません。ですが身の内から輝いているような男が自分を暴くように眺めて、それが一人ではなく。いつもより浮かされているような感覚がありました。まるでいつもより愛されているような。錯覚だということはわかっているのですが。
「二人きりなんだぜ」
「…………え」
「馬鹿じゃねぇの」
「オレらがいること忘れてんなよ。どこがだ」
「誰がお前と恭弥を二人きりにさせるかよ」
 突っ込みは他の本人がしてくれたので雲雀は黙りました。二人きり。どこが。
「えー……じゃあ他には誰もいないんだぜ?」
「それはまあそうか」
「そうだな。邪魔は入らねぇな」
「ここにはオレらしかいねー」
「だったらやることは一つだよな?」
 きらきら、鮮やかな笑顔が七つ目の前にあって雲雀は慄きました。シャツのボタンは既に全てはずされていて、ですがそれをどのディーノがやったものか、そして今触っているのは誰なのかさっぱりわからなかったからです。いや、今触っているのは誰と誰と誰なのかと問い直すべきなのかもしれません。もうなにもわからなくなっていました。思わず震えた雲雀に、かわいい、と囁いたのが誰なのかも。ですが薄く目を開いて彼らを見たとき、誰でもいい、と思いました。誰でも。同じ衝動と賛美が彼らの中にあるのなら、誰が口にしたのでも。多分ここにいるのは八匹の獣だというただそれだけのことなのでしょう。
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